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禅とは「心が動揺することがなくなった状態」を意味する古代サンスクリット語の「ディヤーナ(dhyana)」を漢字に音訳した「禅那(ぜんな)」の略とされています。禅那の行を座して行う修行を座禅といいます。

宗教としての禅宗は、インドから中国に渡った仏教僧、達磨(だるま)大師から始まりました。仏教の開祖であるお釈迦さま(ブッダ)が菩提樹の下で悟りを開いたのは今から約2500年前のこと。達磨大師はお釈迦さまの28代目の弟子にあたります。達磨大師が中国の少林寺で9年もの間壁に向かって座禅を組み、悟りを開いたとされる「面壁九年」の逸話は有名です。

達磨大師が伝えた禅の教えを端的に表す言葉として「不立文字(ふりゅうもんじ)」があります。これは、仏教における悟りは経典や文字に頼るものではなく、師匠の心から弟子の心へ直接伝わるものだという意味で、達磨大師は座禅修行を通して、お釈迦さまの悟りを追体験しました。

つまり禅とは心で理解するもの。あらゆる雑念を捨て去って「今ここ」に精神を集中することで真理を悟り、自分の内なる仏に気づくことをめざします。

臨済宗妙心寺派について

インドの達磨大師から中国の臨済禅師を経て、妙心寺開山無相大師へと受け嗣がれてきた一流の禅を宗旨・教義としています。


1337年、95代の花園法皇の勅願によって創建された妙心寺の開山、無相大師の法流は四派に分かれ、全国3400ヵ寺に広がっています。


お釈迦さまを大恩教主と尊崇し、その教えを心にいただく禅の安心を求めます。


開山無相大師の最期の教え「請う、其の本を務めよ」と開基花園法皇の「報恩謝徳」の聖旨による仏法興隆を実践します。


自身仏を信じて坐禅に励み、足下を照顧しながら生かされている自分を感謝して、社会を心の花園と念じ和やかな人生を目指します。

(妙心寺派の教え生活信条) 

一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう

人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう

生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう

(信心のことば)

わが身をこのまま空なりと観じて、静かに坐りましょう 

衆生は本来仏なりと信じて、拝んでゆきましょう 

社会を心の花園と念じて、和やかに生きましょう

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