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​浄安寺について

夢前町内の西側を流れる夢前川は、姫路市の北部、雪彦山に源を発し、途中菅生川と合流し瀬戸内海に注いでいます。

その夢前川の南部西岸山上に、国の史跡指定を受けた置塩城跡があります(1490年頃築かれた)。その置塩城築城のいきさつと浄安寺創建との関係について説明します。上郡の赤松円心が、室町幕府で要職に就き播磨、美作、一帯を守護として治めていました。

ところが孫義則の嫡子満祐が1340年将軍足利義教を殺害するという大事件(嘉吉の乱と言われています)を起こし、赤松家は断絶となりました。一族の遺臣達は苦心惨憺してようやく赤松家の再興を果たしました。再興した政則は将軍足利義政に寵愛され、置塩城を築きました(その年代は諸説あります)。一帯は、城下町として栄えました。

二代目城主赤松義村の供養するために、三代目城主晴政が浄安寺を建立したと夢前町の歴史書に記載されています。また、義村の供養塔と思われる宝篋印塔が、本堂の上の墓地にお祀りされています。

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浄安寺の本尊は薬師如来です。中央の薬師如来像を向かって右側に大日如来像、左側に弘法大師像があります。

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本堂の南側に弘法大師像があります。その回りに四国霊場八十八カ所を真似て、八十八体の尊像が並んでいます。大正時代に作られ当時は、山中に並べられておかれていました。それを近年このような形に並べられました。

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